2021年5月15日土曜日

アヘン戦争について

少しアヘン戦争について色々調べていたら、僕たち日本人が学んでいるこの戦争の資料は中国、または朝日新聞社が出している本の資料を元に作っているようなので他の見解はないのかと思い調べたのが初め
イギリスやそれ以外、中国や日本以外の見解は違うというところにたどり着きました。
ではアヘン戦争に対する一般的なイメージは?それは以下の様なモノです。

「大英帝国が清国を麻薬漬けするために阿片を無理矢理売りつけた。それを止めさせようとした清に対して英国が仕掛けた侵略戦争」という風に僕たちは学びました。
当時の大英帝国が、七つの海を征する植民地国家であったことは事実です。そして現在の価値観では、阿片などの麻薬は社会悪と見なされ、厳重に規制されています。しかしこの時代は、阿片を含む麻薬類の販売、所持、吸引などは規制されていませんでした。例えば、コナンドイルが描いたシャーロック・ホームズは、コカインやモルヒネの常習者です。ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」は、薬物で酩酊状態になったときの世界観を表現した小説です。阿片は、麻薬どころか、むしろ沈痛・咳止め・睡眠導入、性的興奮などの効果のある「嗜好品」として、普通にそこらで売られていました。

しかも当時の阿片は、精製技術が未熟でした。低精度な阿片を吸引しても日常生活に異常をきたすような重度の中毒者など生まれようもなかったのです。ちなみに今でも、タイではコンビニなどで売っている咳止めシロップ(日本円で70円ぐらい)にも「Camphorated Opium Tincture 0.6ml」とアヘンチンキが含まれています。

話を戻します。

つまり、アヘン戦争が起こった時代は、阿片は咳止め、痛み止めなどに使われていた一般的な薬だったのです。阿片が日本で流通するようになるのは、幕末の頃と言われています。浪士達が斬り合いをするようになり、内戦も起きました。そのため鎮痛薬として阿片が重宝されたのです。こうして、阿片は「悪質な麻薬」ではなく「嗜好品・医薬品」として世界貿易の主役でした。
ちなみにアヘンが世界的に麻薬、薬物として禁止されるようになったのは19世紀初めです。
この時代は上にも書いた通り薬としての役割の方が大きかったと言えます。

特に大英帝国の東インド会社が精製したインド・ベンガル産の阿片は、とびきり品質が良く、効き目の高い特産品として世界中に広く輸出されました。インドを植民地にしていた大英帝国は、極端に安い土地と労働力で阿片を栽培し、莫大な利益を上げます。更なる利益を求めた英国が、人口の多い清に目を付ける事は当然のことでした。しかもインドから荷物を運ぶにも海路で便がいい場所にある。

一方、その頃の清は、中央政府の支配力が弱体化していて、国内が荒れていました。特に貿易の拠点となった香港周辺は、西太后が権力を振るう北京から遠く離れていて、漢民族が支配していたエリアです。(清は満州族の国家)あちこちで無法行為が行われていたので、怪我人が非常に多くいました。そこに鎮痛・除痰・睡眠・性的興奮効果があって、品質の良い阿片がもたらされたのです。爆発的に売れました。東インド会社は、清を相手に更に莫大な利益を上げます。しかし、これが次の問題を発生させます。

誰かが大もうけしていると知ると、すぐにそれを真似して、粗悪品を「安かろう、悪かろう」で売りまくるのが現代でも変わらないシナ人の行動パターンです。阿片が儲かるとわかると、ケシを国内で大量に栽培して、英国阿片の半値で売買されるようになりました。ただし粗悪品です。英国の貿易を行っていた東インド会社は民間会社です。そして民間会社の安全を英国が国家として軍を出動して確保します。民間会社の営業活動は、英国民に利益をもたらすからです。これに対しシナの場合、民間が商売で設けると、そこにかならず官僚が割り込んできて、法外な賄賂をとるようになり、さらに商売そのものを官営にしてしまいます。そして値段も吊り上がります。その結果、英国製の高品質阿片も、清産の粗悪品阿片も、売価は同じ、という状況になります。もちろん英国産の阿片の方が、品質が安定していて、はるかに効き目が良い。売れるのは、当然英国製ばかりになります。

さて、当時英国は、陶磁器や茶などを清から大量に買い付け、一方で良質な阿片を清に販売していました。ところが英国の阿片がたいへんな人気なため、英国の貿易収支は大黒字でした。つまり清側からみれば、対英貿易は大赤字ということになります。このため貿易通貨としての銀が、清から大量に流出してしまいます。この事を問題として捉えた清朝政府は、二つの理由から、阿片の輸入の規制に乗り出します。ひとつは、国内産の阿片商売の独占のため。もうひとつは、銀の流出阻止のためです。この阿片問題解決のため、英国との交渉の特命大臣として林則徐を任命し、上海に向かわせました。さて、この様に中央政府が規制しても、現場では官僚たちが規制を盾に多額の賄賂をとって英国阿片を黙認し、大儲けをし続けます。特命大臣の林則徐でさえ、これで大儲けしてしまいます。

結局、官僚の賄賂の分だけ、清で流通する英国阿片の値が高くなっただけで、阿片の流通はまるで止まらない。当然、清国内の銀の流出も止まらない。清朝政府はついに業を煮やし、1838年、英国産阿片を吸引した者は死刑にするという御触れを出しました。要するに、英国産の阿片は使うな、使うなら国産の阿片を使え、という事です。いくら中央政府の権力が落ちていたとはいえ、実際に死刑になる人が出ると、東インド会社は警戒しなければならず、当然、特命大臣の林則徐に猛抗議をしました。しかし林則徐も強硬な態度を取ります。「今後一切阿片を清国に持ち込まないと誓約書を差し出せ」と英国側に申し入れたのです。

シナにとっては、誓約書というのものは「一時しのぎのための建前のただの紙きれでしかない」というのが常識です。別に、紙くらい、いくらでも書けば良いではないか、と彼らは考えます。けれど西欧社会では、誓約書を差し出すことは、イコール、契約を交わすことです。破れば法外な損害賠償を請求される危険を考えなければなりません。英国人も逮捕される危険がある。つまり誓約書を差し出すことは、今後の商売そのものの根幹にかかわると考えるわけです。当然、英国は、これを拒否しました。

ところが民間貿易というのは複雑なもので、同じ英国商船でも、トマス・カウツという商船は、阿片以外の商材を扱っていたことから、気軽に誓約書を書いてしまいます。「トマス・カウスが書いたのに、なぜ他の船は書けないのか。」
清国官僚の林則徐にしてみれば、実に不思議なことでしかありません。貿易は貿易、あくまで誓約書だけは先に出しなさいと、さらに強硬に英国側に申し入れます。英国にしてみれば、阿片を規制してこれまでさんざん法外な賄賂をとったあげく、こんどは誓約書を差し出せ、阿片交易に関わりのない船が誓約書を出したのだから、他の船も誓約書を出せという話です。誓約書を書いたら、今度は何を出せと要求されるのかわかったものではありません。当時、英国政府を代表して対清国貿易の観察を行っていたチャールズ・エリオット卿は、他の商船までトマス号に便乗して誓約書を出そうとしたから、これを軍艦を出して引き止めました。そして正面から堂々と清国政府に対して阿片貿易再開を書面で申し入れます。

ところが清国特命大臣の林則徐は、これを軽く口頭で「拒否します」と答えました。エリオット卿は、大英帝国を代表して書面で要求書を出したのです。これを口頭で却下。まさに失礼千万です。そもそも昔の国際交易というのは、根底に法がありません。「約束を守らないなら、武力をもってお答えする」という軍事力が背景となって、国際貿易の安全性が担保されていたのが、19世紀の国際交易世界です。チャールズ卿は、事態の趨勢を英国議会に報告しました。英国議会は賛成多数で清国に対する武力による威嚇を承認しました。こうして1838年11月3日に勃発したのが、阿片戦争です。

このように先入観や現代の価値観を捨てて、実際の歴史を見ると、当時の大英帝国よりも清の方に非がある様に思えます。「眠れる獅子」と言われた大国清ですが、実際は「眠れる豚」でした。大英帝国の大砲や銃といった圧倒的な火力を前に、清の主力武器は青竜刀です。戦う前から勝負はついていました。清朝政府は、北京まで迫ろうという英国艦隊を前にすると、いとも簡単に、阿片の取り締まりのための特命大臣だった林則徐を解任し、阿片交易についても態度を軟化させます。しかし、英国もただで引き下がるわけにはいきません。軍事展開をした以上、そのために使った費用を賠償してもらわなければならないからです。

そのために英国は、賠償金として香港の割譲を要求しました。清国は、これを拒否しました。阿片の輸入を認めてやったんだから、それでいいだろう、というわけです。そこで1841年1月7日、香港割譲を拒否した清国に対し、英国は艦隊攻撃を開始しました。圧倒的な軍事力の差を見せつけ、清の完敗となります。こうして1842年8月29日、清国と英国の両国は、南京条約を調印して、阿片戦争は終結。そのときの南京条約で、清は英国に、多額の賠償金の支払いと香港の割譲、それから広東、厦門、福州、寧波、上海の開港を認めました。大英帝国は世界中に災いをもたらしているので、あまり味方したくはないのですが、この阿片戦争の件に関しては、悪いのはどっちかは明白です。

またこれはあくまで他の国の認識。
事実かは僕には分かりませんが、中国という国や人柄を見たところイギリス側の見解が合っているのでは?と思います。
まぁ、イギリスもかなり外道とは思いますが、こういうことを学ぶと片方からの意見だけを聞くのは本当に危ないなと思いました。